「もうちょっとで突っ込んでましたね顔面から。全く、陥没骨折なんてシャレになりませんよ」










シャレにならないのは、こっちの方だ。



穏やかな笑顔を浮かべて言う台詞じゃないだろう、こっちとしては全身冷や汗もの。

夜と同化してしまいそうな程、真っ黒な格好をした人だった。

何より、頭に乗っているシルクハットと長き三つ編みは特に。

よくよく見ればタキシードというか何というか、そういった服装をしている。



こんな時に着ているものだろうか、これらを。



「沙羅さんだって少しは助けようとしてください、分かってたでしょ?」

「何で俺がそいつを吹っ飛ばせないようにするために動かなきゃなんねぇんだ?」

「僕に彼女の血が飛んで来るじゃないですか、嫌ですよ服に付くの。取れにくいんですから」



肩をすくめてそう言われ、あからさまな理不尽に顔を顰めた。

そういう理由で助けられたと思うと、感謝よりも怒りの方が湧いてくる。

どうやら沙羅さんの同僚らしい、随分と口調は違うけれど。

性格の面では結構似ていそうだ。



「それにしても見事に【消え】ましたねぇ、即席でやった割には上出来ですよ?」



唐突に、私の後方を指さした彼。

その先を追ってみれば、ちょうど私達のいる辺りから部屋の窓まで、綺麗に黒が消えていた。

天国への道、という比喩を使うには不気味さが残ってはいるが、これを私がしたのだろうか。

思わず零れてしまったのは自画自賛したかったわけでなく、ただ驚いただけ。



「すっ、凄い」

                  せいや
「あっ、申し遅れました、僕は【星夜】です」

「へ?、……あっ、はぁ、どうも」

「沙羅さんの……まぁ、言ってしまえば世話役ですね」

「おーい何か間違ってるぞぉ?」



窓の方から声を出した沙羅さん、それを星夜さんは軽く笑って受け流す。

随分とまぁのんびりしたコンビだ、こんな状況で。

私だけか、焦っているのは私だけか、ということは私がおかしいのか。

どうしてこんな黒々しい蠢きがある中、和やかな雰囲気で会話出来る。

双眸には疑問符が映されていそうだ、しかし彼らはそれを察してくれない。

挙げ句の果てに、隣にいる星夜さんはあっさりと私に宣告する。





「ちなみに他の酷はまだまだ残ってますからね、出来ればあなたにしてもらいたいんですよ。全部」





それは私に対して言うセリフにしては、無謀なものだった。



「えっ………えぇあっ、はぃい!?」

「当ったり前ぇだろうが、やらせるぞ勿論」



さらに後ろから叩きつけられた、命令。

窓枠に肘をつきながら見下ろしている緑は、一切の迷いがない。

正反対に私は全身から迷いに迷っている、この辺りにいる奴ら全員どっかに消せというのか。

どう足掻いても私に拒否する権利を与えては貰えないらしいが、そうも言っていられない。

泣きたくなるというか、どうにかして彼らの意見を変えなければ。



「無茶でしょ、無理ですよ!!さっきだって偶然だったかも―――」



それに次も確実に成功するかなんて、決まってはいない。

どちらかと言えば失敗する確率の方が高い【気が】した、だからそう言った。

けれど日常生活においても、そういったことは多々あることだ。

一度上手く行ったからと言って、それをすぐに己の自信には出来ない。

いつも次は失敗するのではないか、という想いが先行してしまう。



そして、それを否定してくれる人は今までいなかった。



次やってみて失敗しても、あぁやっぱりそうか、と思えるからそれで良かった。

期待なんてされたくもない、応えなければならない状況に追い込まれるのは嫌だ。

自信なんて持たなければ、そういったこともない。

だから――だから、今まではそうしてきたのに。










「何言ってやがる、【てめぇが】言霊を発動させてあの酷達を消したんだ。【偶然じゃねぇ】に決まってんだろ」










そうはっきり言われたことなんて、一度もなかった。



当然のように、認められたことなんて一度もなかった。

冗談などではない、本気の顔で誰かから言われたことなんて、一度もなかった。

偶然などではなく、お前の力でやったなどと、言われたことなんて。



嬉しいとか、そういった感情は浮かばない。胸に痛みが走るだけ。

カオスに陥った気分、色んな想いがどれもこれも突出してくれない。

整理がつかないとは、正にこのことか。

けれど泣きそうになっていることは分かっている、視界がぼやけてきたから。

どうして涙が湧くかは知らないが、何とか耐えようとする……ものの、上手く行きそうになかった。

そこへタイミングを見計らったかのように、沙羅さんがストッパーをかけてくれた。



「【空間把握】が出来てねぇから【一定範囲】しか消せなかったが、次は【手伝って】やるから出来るはずだ」



私の瞳に映った笑みは、自信に溢れている。

オーラまで感じる気がした、彼女の中には【成功】という二文字しかないのだろうか。

不安とか、そういったものが一切排除されている。

一瞬、呆気に取られたものの、言われた意味を理解すべく問い返した。



「くっ、くうかん?」

「ここにいる酷を【完璧に】全部消せ、ってこった」



えらく、完璧を誇張された。

かなりのプレッシャーを私にかけている自覚が、彼女にあるのだろうか。一気に冷や汗が出る。

今度は恐怖の感情が前に出始めた、失敗するかもしれないという恐怖。

けれどそれに屈しかける前に、聞こえてくる声がある。



「俺が調節してやるから、思う存分やってみろ」

「面倒なら【強制帰還執行】と言うだけで充分ですよ、さっきの感覚が残っているのならね」



窓から腕を伸ばし、私へ掌を向ける沙羅さん。

星夜さんは私の横で微笑んで、言葉をかけてくれた。

出会ったばかりであるはずなのに、なぜこれほどまで信頼出来るのだろう。



そうさせる何かを、彼らはきっと持っているのだ。



不安が、少しかき消える。

だがその消滅は大きく私を左右した。

こんなにも、言葉だけで表と裏が変わるのか。

先ほどの時とは違う、迷いがなくなる。躊躇いはない。

ちゃんと言霊とやらを発動させた。










「 強制帰還執行 」










全く、違う感覚。



私を構成している全てが、一つになるような気分。

そう言えば先ほど、沙羅さんが言っていた【集中】という言葉を思い出す。

何もかもを圧縮する、とはこんな感じなのだろうか。

今、かなり実感している。【気持ち】で全てが左右されているということが。

さっきまでは【安定していなかった】のだ、……上手く言えないものの。

けれどこれだけははっきり言える、先ほどのモノよりも数段良い出来のはずだ。















……―――――はず、だった。

























――――ゴォァッ―――――――――――――――






























いきなり、空間が変貌する。



頭の中が真っ赤に染まった、警告だ。

本能から、警告音が響き渡っている。

風が起こってるわけでもないのに、辺りのちょっとした木々は揺れていないのに、酷だけは津波に遭っているかのように揺れている。

そして、順々に消えて行っていた。

まるで砂と化す如く、融けてなくなって行く。

それは良いことであるはずだ、こいつらを消すための術だったのだから。

しかし――それだけで、済まされない、気がした。





「!?クソッ、【結界】はみ出やがった…!!」


「辺り一帯の【存在】が巻き込まれますよ!!」





何だ、何の話だ。

もはや自分ではどうしようも出来ず、制御できない暴れ馬に乗っている気分。

挙げ句の果てに全身の力が抜け始めた、一点に全てが集中してしまった代償だろうか。

瞼すら持ち上げられていられない、暗い帳が落ちていく。

その、寸前。





「「 裁きは地平の果てへと沈み

   水平の牢獄に封じ込まれる 」」





二重に届いた波に、飲み込まれる。










「「 【消言執行】 」」










辺りを一気に包み込んだのは、光―――――。




















*   *   *   *   *   *   *   *   *   *










「…参ったなぁこいつ」

「僕達の結界、超えちゃいましたねぇ〜」

「笑えねぇよアホ、…俺がちゃんと調節してたってのに」





地面とご対面しかけた少女を支えた星夜の元へ、沙羅が窓から飛び降りてやってきた。



漂っていた酷達は全て消えている、危機は去った。

否、それは少女からすればだけであって、彼らからすれば危機でもなんでもなかったのだが。

それよりも危険に思ったのは、発生したばかりの現象の原因。

見下ろした先には意識を手放している少女、けれどただの少女ではないらしい。





「あーぁ、予想外に厄介な【拾い者】したぞこりゃ」

「まさか、野放しにしておくなんてことはありませんよね?」

「しゃぁねぇだろ、このままだと下手すりゃこいつは【殺戮兵器】になる」





不吉過ぎる言葉は幸いにも、本人には届いていない。

が、果たしてそれは届かなくて正解だったのだろうか。



あのまま、彼らが何もしていなければ最低でも直径1km圏内の建物は消滅していた。

最高で、どれほどいっていたのかなど想像出来ない。

彼らが張っていた結界というのは、酷の行動範囲を抑えていたっものだが、――それは同時に、言霊の発動範囲も抑えていた。

それを超えてしまったのだから、周囲に与えられたかもしれない影響はどれほどのものか。



ひたすらに嫌な予感しかせず、これから始まる少女との関係に頭が痛くなる沙羅。





「……とりあえず、家に帰しておくか。どうせまた店の前通んだろこいつ」

「攫うんですか?」

「違ぇよ、連れ込むんだ」

「…同じでしょう?それも」





苦笑するしかない星夜は、そのまま少女を担ぎ上げた。

月を翳らせていた雲はどこかへ行っている、嫌に明るい光が届いた。

まるで幕開けされた舞台のよう、けれどその奥は何も見えない。



見えて、こない。





「―――…気付かれてませんよね?【本部】には」

「気付かせてねぇよ、俺が。念のためにもう一枚、広範囲に結界張っておいた」

「あれ、そんなこと僕知りませんよ?」

「言わなくてもてめぇなら分かってただろうが」





鼻で笑い、先に家路へ向かったのは沙羅。

少女のことを全て星夜に任せるつもりのようだ。

その背を見送りつつ、彼は長く息を吐いて言う。





「そんなに信用しないで頂きたいんですけどねぇ」

「大丈夫だ、俺はてめぇを【一番】信用してねぇ」





即答され、一瞬瞠目。後、嗤う。

その嘲りの対象はどちらだったのかは分からない。

互いに背を向け、彼らは別れていった。